より多くの人に読まれたくてタイトルを変えたら、自分が書きたかったものを見失った話
先日、こんな記事を書いた。
https://zenn.dev/a_1ro/articles/4b0333e9d7b8f9
はてブで若干炎上気味になった。批判コメントをいくつか受けて、最初は「追記で潰せばいいか」と考えていた。
でも少し冷静になって気づいたことがある。問題は記事の内容じゃなくて、タイトルだったということ。そしてそのタイトルをつけた時点で、自分が本来書きたかったものを見失っていた。
タイトルが先に戦闘態勢を作った
「AIが書いたコードをレビューするな」というタイトルは、読む前から人を構えさせる。
記事の中身はそんな過激な主張じゃない。「実装前にAIに仮定リストを出させたら、認識のズレが減った」という個人の試行錯誤の記録だ。タイトルと本文のトーンが最初からズレていた。
批判コメントを読み直すと、ほとんどはタイトルから想像した「コードレビュー不要論」への反応だった。本文を読めば解消される誤解を、タイトルが自ら作り出していた。
自分が何を書きたかったのか
なぜあのタイトルにしたか。「より多くの人に読んでほしい」と思ったからだ。
挑発的なタイトルの方が目に留まる。せっかく書いたなら届けたい。その気持ち自体は悪くなかった。
しかしそれは、届け方の手段を間違えた選択だった。より多くの人に読まれるために、内容より先に読者を構えさせるタイトルをつけてしまった。
自分が本来書きたかったのは、個人開発で試して「あ、これ効くかも」と感じたプロセスの記録だ。定量データもない、業務での検証もしていない、体感ベースの話。それをそのまま書けばよかった。
「届け方の軸」と「体験の軸」は最初から違う
より広く届けることを意識しながら体験を書こうとした結果、どちらにも中途半端になった。
「自分の体験を書く」を軸にするなら、対象読者は同じ悩みを持つエンジニア個人だ。その人たちに届けばいい。全員に読まれる必要はない。
次はタイトルを内容のまま書く
反省として、次に同じ種類の記事を書くなら、タイトルは内容の温度感のままにする。
「実装前にAIに仮定リストを出させたら認識のズレが減った話」
これくらいの地味さが、中身と合っている。
より多くの人に届けたいなら、タイトルだけ変えるのではなく、中身ごとその方向に振り切る必要がある。どちらかに揃える。タイトルと中身のトーンがズレている状態が一番よくない。
炎上が教えてくれたのは、誰に向けて書くかを決めてから書け、ということだった。自分の記事の軸は「体験を共有すること」だと再確認した一日だった。